☆NHKスペシャルで高倉健さんのドキュメンタリーを見て、仕事への姿勢に改めて敬服しました。
私生活を含めて生き様が研ぎ澄まされていた方、そして首尾一貫、一意専心の体現を貫いた方、
健さん、本当に素敵な方でした。
私がメンターさんと呼ぶ役者さんも同じメンタリティをもった方だと思っています。
健さんの「映画」を、メンターさんの「舞台」に置き換えると、対象に対峙する姿勢がオーバーラップ。
バラエティなどでみせている軽い?いえ軽やかな姿(と言っておきます)も、
確かにメンターさんの一部ではありましょうが、それはほんの一部に過ぎません。
様々なインタビューを読んだり、仕事にまつわるエピソードを聞いたりすると、
熱い思いを秘めた昔気質の職人肌という感じであり、
軽いどころか実はとても重厚な方なのだと伝わってきます。
(何たってファンですんで、そう受け止めちゃいます。たまに聞こえる噂話も何のその。)
その方が、止まることなく、芯がブレることもなく、すごいスピードで走り続けている今、
ファンとしては、新しい作品の発表毎に狂喜しながらも、
ついていくのはなかなか必死なことでもあります(資金のやりくりで)。
大変ならやめれば~?というだけの話ですが、
簡単にやめられるのであれば、10年来のファンにはなっていません。
こうなったら、ファンの花道(あえてそう呼びましょう)を
行けるところまでひた走るしかないのかもしれません。
以前に夫から言われた「死ぬまで貫きなさい!」という励ましと、
T(中2)から言われた「ほど良い距離感を大事にね!」という戒めを反芻しつつ、バランスを取りつつです。
井上陽水さんのファンである上野千鶴子さんが、『ひとりの午後に』(文春文庫)の中で、
「歌い手のピークとはいつだろうか? 肉体を楽器にする歌手は、
肉体の衰えと運命を共にすることを避けられない。
…陽水は衰える。わたしたちもまた衰える。時間が平等にもたらすものを、誰も避けることはできない。
陽水の同時代人として彼の来し方行く末を見届けたいという思いは、
衰えもまた芸にして見せて欲しい、というものだ。」(p166)
と仰っています。38歳のメンターさんに衰えという言葉はまだピンときませんが、
「同時代人として彼の来し方行く末を見届けたい」というところは、まさに私が感じている思いそのもの。
同時代の日本を生きていられることに感謝し、その喜びをエネルギーにしつつ、
己の果たすべき(と信じる)小さな使命に、素直に謙虚に勤しもう!なんて真面目に思っちゃいます。
実に大袈裟ですが、いいんです、これで。
我ながら時々ウザったいくらいの思い込みも、苦しい時を乗り切る力になりますし、
後からみればきっと、こういう経験も良い思い出になるでしょうから。